水道哲学 vs 音楽配信
2009年3月10日 音楽 コメント (6)
松下幸之助の人生をやってるテレビを見て「水道哲学」なるものを知り、思った事。
松下幸之助氏曰く「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには、物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない(※注)。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである。」
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(※注:公園の蛇口とかならばいいけども、今の時代は人様の水道だと怒られる可能性はあるよねw)
まあ要するにモノの単価を下げる事で需要を呼び起こして、必要とされる便利なものが世の中に普及し、一般大衆の社会生活が向上し、企業も成長し、ひいては新しい世代の人材を育てる土壌となる...的な事なんでしょう。コレは当時発明に匹敵する程の理念だったと思う。まだ物質文明が未成熟な時代に高い志を持って人の為、社会の為に頭と体と心を使って人々が日々働いていた時代。経済的には貧しかったかもしれないが精神的に今よりもずっと豊かな時代だったんだろうなと思う。
で、今の時代、便利過ぎて必ずしも必要の無いモノが溢れ、行き過ぎた自由主義経済のあおりを受けた弱肉強食、拝金主義、格差社会の時代に、なかなかこういう理念を恒久的に謳う事は難しくなっているし、実際ナショナル改めパナソニックだって大量の派遣切りをしてるしね。松下幸之助氏が今の時代に生きていたら何て言うだろうなあ( " )。
あ、そうだ、で、本論ね。この「水道哲学」ってのはある意味「企業人」とか「生産者側の心構え」を謳ったもので、厳密にいうと「経済理論」ではないと思うので、安易に引用すると怒られるかもだけど、一般的にこの事をこれからの「音楽配信」に当てはめて考えることは可能だと思う。要するにダウンロード単価を例えば現在着うた一曲300円、iTunes150円をそれぞれ10分の一以下にする事が生産過程で仮に可能となれば、デジタルコピーに毒されイタチゴッコの続く音楽産業が、需要拡大により息を吹き返す要因になるかもしれない...と、業界にいる人なら誰もが一度は考える事だと思う。
ただ、危険なのはこのブログでも何度も言ってるけど「単なる値下げ」はその文化の衰退と常に背中合わせ=クオリティーを落としてそれを実現しても需要拡大には繋がらないし、それどころか「音楽不信」を助長するきらいが有る上では意味が無い。この事を音楽に関わる企業、業者、アーチストがどう考え、行動するか、それが大事。
音楽製造業者の端くれとして、マザーシップのこの事に対する「答え」は、最近何となく具体的な手法とともに確立されつつあり、そこら辺を分かってくれた上で利用してくれるお客さんが少しづつでも増えている事は、仕事する上でとても幸せな事であるなあ...とよく思います。
H氏にフォーティーンの60のサンドを戴く。
バンカーで早速試してみよう。
3/10/19:05
松下幸之助氏曰く「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには、物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない(※注)。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである。」
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(※注:公園の蛇口とかならばいいけども、今の時代は人様の水道だと怒られる可能性はあるよねw)
まあ要するにモノの単価を下げる事で需要を呼び起こして、必要とされる便利なものが世の中に普及し、一般大衆の社会生活が向上し、企業も成長し、ひいては新しい世代の人材を育てる土壌となる...的な事なんでしょう。コレは当時発明に匹敵する程の理念だったと思う。まだ物質文明が未成熟な時代に高い志を持って人の為、社会の為に頭と体と心を使って人々が日々働いていた時代。経済的には貧しかったかもしれないが精神的に今よりもずっと豊かな時代だったんだろうなと思う。
で、今の時代、便利過ぎて必ずしも必要の無いモノが溢れ、行き過ぎた自由主義経済のあおりを受けた弱肉強食、拝金主義、格差社会の時代に、なかなかこういう理念を恒久的に謳う事は難しくなっているし、実際ナショナル改めパナソニックだって大量の派遣切りをしてるしね。松下幸之助氏が今の時代に生きていたら何て言うだろうなあ( " )。
あ、そうだ、で、本論ね。この「水道哲学」ってのはある意味「企業人」とか「生産者側の心構え」を謳ったもので、厳密にいうと「経済理論」ではないと思うので、安易に引用すると怒られるかもだけど、一般的にこの事をこれからの「音楽配信」に当てはめて考えることは可能だと思う。要するにダウンロード単価を例えば現在着うた一曲300円、iTunes150円をそれぞれ10分の一以下にする事が生産過程で仮に可能となれば、デジタルコピーに毒されイタチゴッコの続く音楽産業が、需要拡大により息を吹き返す要因になるかもしれない...と、業界にいる人なら誰もが一度は考える事だと思う。
ただ、危険なのはこのブログでも何度も言ってるけど「単なる値下げ」はその文化の衰退と常に背中合わせ=クオリティーを落としてそれを実現しても需要拡大には繋がらないし、それどころか「音楽不信」を助長するきらいが有る上では意味が無い。この事を音楽に関わる企業、業者、アーチストがどう考え、行動するか、それが大事。
音楽製造業者の端くれとして、マザーシップのこの事に対する「答え」は、最近何となく具体的な手法とともに確立されつつあり、そこら辺を分かってくれた上で利用してくれるお客さんが少しづつでも増えている事は、仕事する上でとても幸せな事であるなあ...とよく思います。
H氏にフォーティーンの60のサンドを戴く。
バンカーで早速試してみよう。
3/10/19:05
コメント
僕は好きな作品は、どんなに不便でもCDを買います。
まあ音楽人は結局なんだかんだいいながらCDかっちゃうんだよね。
流石ですね。
あなたの哲学と経済論をもっとも知らしめたいですね。
ありがとう!
生産に次ぐ生産。
ちゃんワンに次ぐちゃんワン。
京都で街スタやるってことは、当然レベルが高い仕事ばかりが来るわけではなく、どちらかと言うと「なんじゃこら?」的なモノをなんとか付加価値をつけて売れるレベルに持ちあげる作業が大多数。勿論そこまで持ち上げれない事もありますが、なんせ毎日そういう事ばっかりやってると、正しいと信じて良かれと思ってやってる事が果たしてこれはその人のため、社会のため、オンガクの為になっているのかな?とコンフューズしちゃう事があるんすよね(BPさんもそう思うときないすか?)。
で、結局、行き着いた当たり前の結論として、コレはスタジオだけが頑張っても仕方が無い事で、オンガクに関わる全ての人達がそれぞれスキルアップしていかないと、結局はその文化全体のレベルなんて上がりようがないわけでね。まあ今日の日記はそう言った事の啓蒙活動の一環ですね。どれだけの人達がこの事を真に受け止めてくれるか疑問ですが...。
ジーマーのスーレーですんませんw。
その先にまた違うユーザーがいたとしても、まずは直接のユーザーの喜びを第一にしているんですよね、僕は。
「なんじゃ?こら?」的なものって常にあるというか、ほとんどがそうだと思うんです。
昔、アパレル販売をしていた時なんか毎日が「なんじゃ?こら?」だったです。
どう考えても似合わないと思っていても、そのお客さんが「着たい!」って思うんであれば売るわけです、プロだから。
でも心の中で「自分が似合うもの、似合わないものを知ってほしい。」って思っていましたね。
ズレてるかな?
もうちょっとプロ意識持つようにします。
なんだかいけそうな気がするぅ〜。